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2006年の記録を書く前に前回書き忘れた「汽車工房」名前の由来について・・・ 初期のエンブレムはSINCEの抜けた1993のみの形です。 機関車製作に先立ち山口事務局長デザインのエンブレムが作られました。 元々会の名称はドイツ好きの故山口氏の意向で「趣味人」(シュミット)と名づけられる予定だったことを会員もほとんど知らないと思います。 何度か例会を重ねクラブ名を決める際、元川崎重工(旧汽車会社)の退職者が居られ、「汽車会社」ではどうかと提案したのです。しかし、現存していなくとも大看板を名乗るのもおくがましいと「汽車工房」はどうかと筆者の提案が通ってしまいしぶしぶ?山口氏がデザインしたいきさつがあります。 当時、本当に埼玉県蓮田に「汽車工房」という模型店があり(現存しているかは不明ですが・・・)Nゲージのオリジナルを出していたのです。 そこで方便として「汽車工房 UTSUNOMIYA SINCE1993」が正式名称になっています。 まあ、ほとんど汽車工房というクラブで通ってしまいますが、未だにライブスチーム業者だと思われています。というのも初期の製作工程は量産体制が進み、業者工場顔負けの状態だったので・・・記録が紛失しているのが惜しいです。 余談ですが最近、関西方面(滋賀県)に有限会社 「汽車会社」というライブスチームの業者ができました(笑) 話が大きくそれました。 2004年に久々に子ども総合科学館にて県からの依頼で運転会のイベントがありました。 地盤が悪いところでの2日間はまともに走ることが出来ませんでしたが、翌年は少しはまともになったようです。 2006/5/3〜4(水・木)にわくわくグランディ科学ランド(旧 栃木県子ども総合科学館)で行われた子供の日に向けての汽車工房の製作発表会を兼ねたボランティアイベントの記録です。 市内バスが廃止になりそのターミナルを使える事になりまともな地盤での運転会となりました。 クラブ特製のアルミレールを使用した一周95mのエンドレスを敷いて蒸気機関車4台、電気機関車1台の参加でした。その模様です。 注)以下本文は特記以外その当時のものです。 ラインナップは・・・ 事務局長の山口勇氏のCタンクです。 汽車工房オリジナルの1号機でもあります。 ドイツ風の風貌ですが、設計事務所の同氏のセンスが光った一台です。 5510とは奥様の誕生日だそうです。 製造から10年選手の機関車ですが大変調子が良く大活躍でした。 私も今回運転をさせていただきました。 阿部正幸氏が運転するCタンクです。 元はタカダ模型キットからの製品でしたが汽車工房発足時にいろいろ参考にした機種でもあります。 オリジナルのボイラーが破損していたため、工房製のボイラーに乗せ替え、キャブやサイドタンクを模様替えして現在に至っています。 同氏は元々Bタンクを製作されていますが、今回は運転本位に徹する為にこれを運転していました。 そして・・・ 近藤啓司氏の1C1タンクです。 戦時中、宇都宮の清原飛行場への軍用線で活躍していた同氏の思い出の機関車をタイプとして製作されています。 先輪の不調(スプリングの関係か?)からポイントでの脱輪が見られたのは残念でした。 手際の良さから圧上げが早く一番最初に客運をされていました。 さらに・・・ 今回初登場のB20タイプです。製作者は平原伸一氏です。 ポンプの不調を心配していましたが、一番調子が良く走っていました。 キャブのホンダのエンブレムがご愛嬌のワンポイントです。 個人的には煙突が低く感じ、後日ストックの長めの煙突と振り返られました。 電気機関車は上田電鉄のEB4111です。製作者は塚越哲男氏。 120W 12Vのモーターを積んだバッテリーカーです。 電動の基本キットは技巧舎製ですが、下回りは工房オリジナル、ボディーは同氏製作によるブラススクラッチです。 日本工業大学でも走っていたのでご覧になった方もいらっしゃると思います。 クラブでは3台存在しているEB級の電気機関車です。 山口氏のCタンクを運転するのは管理人の私です。 本来は塚越氏と同じく電気機関車、草軽電鉄のデキ12(21号機)を愛機としていますが、仕事の関係で本日のみの参加の為、持参出来ませんでした。 (1993年製 汽車工房製の電気機関車1号機です。 国際鉄道模型コンベンションにて 2003年頃) この日、クラブを体験したいと生徒さんが来ました・・・。 小久保真くんです。彼は鉄道専門高校に進む予定で、汽車工房の会員予備軍です(笑) 山口事務局長と記念写真です。 この施設にはH-2ロケットのレプリカがあり、午後一回だけ模擬発射が行われます。 その様子です。 最近は経費の節減からか煙(ドライアイス)が少ないようです・・・(苦笑) その他、当日の運転会の様子です。 山口氏の提案で記念撮影を久々にしました。 でも、まさかコレが本当に事務局長の遺影になるとはこの頃は思いもしませんでした。 クラブの制帽を作った際、アップリケとしてデザインされたものを先述の事に基づいてSINCE 1993となったグラフィックのエンブレムです。 続く |
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